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味にこだわり地域の暮らしに寄り添う“おこめのとなり”の台所/misu’s Kitchen(みすずキッチン)

書き手 ゴトウ サトミ

浦和駅東口から徒歩約10分、浦和競馬場まで約700メートルつづく「前地通り商店街」で昭和34年創業の歴史をもつ老舗米屋『長堀米穀店』。その一角に、2024年9月にオープンしたのが、福岡美鈴(ふくおかみすず)さんが店主を務める『misu’s Kitchen』 です。

以前お話を伺った『Salad Field』の野菜をお料理に使っていると聞きつけ、休日の午後「ランチまだやってますか?」と少し緊張しながら声をかけたのが美鈴さんとの最初の出会いでした。

お肉から副菜、スイーツまで、和洋中問わない豊富なお惣菜の数々。「余らせてももったいないから、特別におかず増やしちゃうね!」なんて気さくに接してくださる様子に「私、常連だったかしら」と錯覚するような親しみを感じて、とても嬉しくなったのを覚えています。

偶然見つけたコンペで“一歩”を踏み出す

少しずつ、いくつかのお惣菜を組み合わせて楽しむのがおすすめ
店頭に並ぶお惣菜を選び、自分好みのセットをつくることもできます

入り口を入ってすぐのディスプレイケースには、目にもおいしそうなお惣菜が並び、木の温かみが伝わる小上がりのカウンターでイートインもできるのが嬉しい、居心地のいい空間。現在、美鈴さんのほか、古くからの友人を含む3名のスタッフが兼業でお店を回しています。

「私、おいしい食材を見つける嗅覚はするどいんです。見つけてしまうと、もう料理をつくりたくてしょうがない。つくりすぎるので、時々一緒に働くスタッフに『もうディスプレイに入らないですよ!』と怒られるくらいです」。

その話ぶりから、明るくて快活な人柄がにじみ出る美鈴さん。お店のオープンの経緯は少し変わっていて、長堀米穀店の長堀さんが地域の活性化のため発案し、空きスペースの有効活用を推進する不動産コンサルタント『ものくり商事』が企画したオーナー募集コンペ「おこめのとなりプロジェクト」がきっかけでした。

木の温もりを感じるイートインカウンター

「コンペの募集要項に“踏み出せなかった一歩を踏み出したい人”と書かれているのを見て、私のことだなと思ったんです。最初の企画書をペライチで提出したら、『もう少しちゃんとしたものを』と言われてしまって」と笑いながら当時を振り返ります。

「そこから知り合いの手を借りながら、事業計画書を作り込みました。今までにもいくつかコンペに出た経験はあったのですが、どれも“今までの成果を発表する場”でしたから。これから未来に起こることを想像して、数字に落とし込んでいくのは難しかったですね」。

最終的には、知り合いの経営の専門家にも「これならもっと大きなコンペに出せるよ!」と太鼓判を押されるほどの企画案で、全17組の応募から見事大賞を受賞したというから、独立への並々ならぬ思いを感じます。

誰にも真似できない「味」への思い

最初の企画書から一貫して書かれていたのは、“手軽に食べられて、毎日メニューが違って、とにかく味を追求する”ということ。メニューを決めないのは、決まったメニューのために高級な食材を買いつけるのではなく、今、安くておいしい食材で提供したいからだと美鈴さんは言います。

「地元農家さんとのつながりも、味を追求する中で自然と生まれました。Salad Field の生川さんとのご縁は、カーボロネロ(※)を探していて、『け八き農園』の石井さんに紹介いただいたのがきっかけです。カーボロネロだけではなく、どの野菜も食べてみたら本当に味がよくて! それに、ご連絡した翌日には、生川さんが雨の中ドロドロになりながら、お店まで野菜を持ってきてくださったんです。 その仕事っぷりに惚れ込んで、継続してお願いしています。ほかにも野菜は『となりのはたけ』や『たのし農園』など複数の農家さんから買い付けていますが、みなさん気持ちのいい方ばかりですね。お肉にもこだわっていて、お肉屋さんと話をしていると、私があんまり詳しく語るものだから、びっくりされたりして(笑)。その分、本当にいい食材が手に入るのでありがたいです」。

※カーボロネロ:イタリア料理で使われる野菜。別名黒キャベツ

4月からは、店内で有機野菜の販売も始まりました

食材だけでなく、調理にももちろんこだわりが。「家族が好きな、甘めの味つけです」と話す美鈴さんがつくるおかずには、一見よく見る家庭料理でも、食べると自宅では再現できない味わい深さがあり、初めて料理をいただいた日も、甘さと塩味のバランスが絶妙な味つけに、思わず「このさつまいものサラダ、何が入ってるんですか?」と聞いてしまったほど。美鈴さんご自身は「食材がいいからですよ」と謙遜するものの、よくよく聞けば、調味の工程は他のスタッフではどうにも再現できないのだそう。

「揚げ物はタイミングが大事。見た目と匂いで『今!』ってときがあるんです」

「よくレシピを聞かれるんですが、材料自体は最小限なので『本当にそれしか使ってないんですか』と驚かれますね。醤油と砂糖と塩だけ、みたいなシンプルな味つけも、もっと複雑なことをしていると思われるみたいで。調味料の量は決めていないです。卵は銘柄によっても違いますし、野菜は季節によって水分量も変わってくる。味見をしながら『あ、今日は甘味が少し足りないな』と思ったら砂糖を足してみたりして。何をつくるにも、同じ味を再現するのではなくて、『おいしい』と思ったところで調味料を入れるのを止める、それだけです」。

「いつか独立を」そのチャンスは幾度となく

経営者としての手腕に加えて、唯一無二の味をつくり出す職人としての一面も持つ美鈴さん。その源流を遡ると、おいしいものが身近にある家庭環境があったといいます。

「父がグルメな人でした。中途半端なものを食べるくらいなら、おいしい店に3ヶ月に1回は行こう!というタイプで。お寿司は回転寿司じゃなくてカウンター、特別な日は『ホテルニューオータニ』で家族揃って食事。最初に勤めた『銀座アスター』も小さい時からの馴染みの味なんです。今思えば、食に関して英才教育を受けていたんだと感じます」。

そんな環境もあってか、自然と食への興味が芽生えた美鈴さんは、18歳で高級中華料理店の銀座アスターに就職。希望していた調理の部門には進めなかったものの、サービスコンテストで結果を残すほか、新人教育などを担当し、接客のプロとしての技術を磨きます。一方で、大きな組織の中でのしがらみや、制限を感じる中「好きな料理を好きなようにつくりたい」という思いを諦めきれず、「いつか自分のお店を持つ」と決意。それでもすぐに独立はせず、異業種で経験を重ねることを選びます。

唐揚げはリピーターが多い定番お惣菜のひとつ

「学生の頃からしていたテニスと、飲食業界しか知らなかったから、独立するまではたくさん悩んでもいいのかなと思ったんです。興味があるものはすべてやってみよう! と。23歳で一度飲食業界を離れ、クリーニングやディズニーランド、ブライダルなど、さまざまな業界で働きました」。

飲食業界に戻った時期もありましたが、その後結婚、出産、夫の仕事の関係で仙台へ移住、と30代でライフスタイルが変化。フリーランスのテニスコーチをしながら、製菓の専門学校に通います。3年後地元さいたま市に戻って、見事製菓の国家試験に合格!ところが、ここでは飲食業界には戻らず、テニススクールで正社員として働き始めます。

「当時長男が9歳とまだ小さかったので、夜遅く、土日も働く飲食業を子育てと両立するのは現実的に難しかったんです。『資格までとったのに、私何してるんだろう』と思ったこともありました。その一方で、スクールでお子さん向けのイベントを企画すると定員があっという間に埋まったり、テニスの教材づくりにも関わったり、周囲には『テニスコーチが天職だね』と言ってもらうことが増えていきました」。

「自由でいたい」そんな自分の思いに気づく

周囲に天職とまで言われる仕事に出会っても、いつか自分の店を持つという夢は持ち続けたままだったと言います。

「そのままテニスコーチの道を邁進することも考えられたのでは?」と尋ねると、少し考えた様子で「決してテニスが抜群に上手いわけではないんですよ」と美鈴さん。

「接客業でたくさんの人を見てきて、人材教育の実績もある、さらに子育ての経験や知育教育への興味があったから、人の性質を見極めるのが得意だったんですね。その人の長所や短所を分析し、相手が要求していることやなりたい姿を想像して応えていく。生徒の親御さんには“美鈴さんは子どものやる気スイッチを見つけてくれる”ともよく言われて。気づいたら『テニスを教わりたい』だけではなく、『美鈴さんに子どもを預けたい』と言っていただけるようになっていました」。

イートインでいただける「ランチDeliおまかせプレートセット」

そんな輝かしい実績に反比例するように「でも私、ぜんぜん器用じゃないんです」と、どこか遠慮する様子を見せる美鈴さん。聞けば、“人気テニスコーチ”に向けられた周囲の期待や責任を一手に引き受け、期待に応えることができたからこそ、同時に、自分の意思とは関係なく消費されてゆく虚しさや、怖さも経験したのだと言います。

「右腕を怪我して、手術してるんですね。プレーヤーとして長くは続けられないなと思っていました。でもそれ以上に、精神的に疲れてしまって。適応障害にも何度かなって、仕事をお休みした時期もあるんです。当時勤めていた会社の社長には『突き抜けなさい』『もっと上に行きなさい』なんて言われたこともありますが、私自身、上に行こうという気持ちはないんです。それよりも、自由でいたい。自分の好きなことややりたいことを、自分の意思で決めていけることのほうが私にとっては大切なんだと気がつきました」。

子育てが教えてくれた“助け合いの大切さ”

「今はお店を通して世界が横に広がって、いい相乗効果が生まれている気がします」

美鈴さんの人柄を知るのに、もう一つ興味深いエピソードがありました。現在大学1年生と、高校2年生の息子さんがいる美鈴さん。

「お腹に長男がいるときに、当時住んでいた区の子育て支援センターで、妊婦さんたちの集まりに参加しました。それがきっかけで、子育てで大変な時も助け合える友人ができたんです。その後引っ越した東浦和でも、同じように仲間が欲しいなと思い、SNSを通して同級生のママ達に声をかけました。最初はお菓子やおもちゃを持ち寄ってただ集まるようなのんびりとした会だったのが、『集まるだけではもったいないから、座談会をしよう』、『資格や教えられる経験を持ったママたちが講師になって習い事をやろう』と、どんどん活動範囲が広がっていきました」。

気がつけば東浦和を飛び出し、浦和、大宮など、各地の公民館や貸しスペースなどを利用して、300人規模のママ友コミュニティができあがったと言います。

「最初の集まりで出会った友人は、コミュニティ運営のほか、お店の手伝いもしてくれる本当にありがたい存在。ママ友コミュティは、運営側の負担が大きくなりすぎたのと、次男の出産のタイミングもあって解散してしまいましたが、イベントを企画したり、人を集めてやりたいことを実現していく経験を積めたのはよかったです。これから地域を盛り上げていくうえでも、お役に立てるんじゃないかなと」。

お役に立つ、どころか、実際に開店半年を祝う「0.5周年祭」では、misu’s Kitchen でのビュッフェスタイルのお弁当販売に加え、野菜の販売やワークショップ、これまでのお店の風景を収めた写真展にボディケア体験まで、お店を応援する人たちと、それを聞きつけた多くのお客さんが集まりました。今後は店内を利用したワークショップなど、希望する方を募ったコラボ企画も予定しているとのこと。人と人とのつながりを生み出す美鈴さんの行動力で、地域の人が集まる場所として発展していくmisu’s Kitchenのこれからに目が離せません。

地域を盛り上げるために──まずは仲間づくりから

長堀米穀店の長堀さんと。“おこめのとなり”がmisu’s Kitchenの目印です

“踏み出せなかった一歩を踏み出したい”そんなコンペの募集要項に誘われて、念願の独立がかなった美鈴さん。

「かなり遠回りはしましたが、綺麗ごとだとしても、無駄なことはひとつもなかったと思います。それに、開店してまだ半年ですが、すでに3年分くらいの体感です(笑)」。

今後について伺うと、やはり“人が集まる場所をつくりたい”と答えてくれました。

「おこめのとなりプロジェクト」は、私が第1弾なんです。このお店だけで地域を盛り上げるのは難しいので、これから第2弾、第3弾と仲間が増えていって欲しいですね。そのためには、まずはお店を知って、興味を持った人に集まってもらうことが大切だと思っています」。

初めてお会いした時から、安心感を与えるあたたかい雰囲気を持つと同時に「すごく考えちゃうタイプなんですよ」と、不器用とも思えるほどまっすぐな一面を見せる美鈴さん。そんな彼女を動かしているのは、唯一無二の味をつくり出す職人としての誇りと、人のお役に立ちたいという純粋な思い、そして、自分の好きなことを自由にしたいという、願いにも似た意思なのかもしれません。

「今までにもたくさんの人に出会ってきました。もちろん、それによって大変な思いをしたこともあるので、分母が多ければいいわけではないことも理解しています。でも、人と出会って、必要とされて、自分の特技でお返しできた瞬間って、すごく豊かだと思うんです。心の広い、気持ちのいい人に出会いたい!と思ったら、ちょっとの動きでは難しい。だからこそ、お店を起点に地域に貢献できる活動を広げることで、人と人が出会い、助け合える場所をつくっていけたらいいなと思います」。

misu’s Kitchen

営業時間:11:00〜売り切れまで
※日によっては閉店時間が設定されている場合もあり。詳しくはInstagramに投稿されているカレンダーをご確認ください。
住所:さいたま市浦和区前地3丁目1-11 長堀米穀店内
定休日:日・月・そのほか
※詳細は店頭、SNSをご確認ください。
※数量限定・売り切り閉店のため、ランチタイムのイートインはお電話での予約がおすすめです
HP:https://misu-s-kitchen.my.canva.site
Instagram:@misu_s.kitchen

書き手
ゴトウ サトミ

埼玉出身、さいたま市浦和区在住。実用書、旅メディアの編集を経て、現在は都内勤務の会社員。せっかく暮らすなら、この場所をもっと知って、好きになりたいという思いで『さいのネ』に参加。人の好きなものの話を聞くのが好きです。

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