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見沼区の住宅地に現れる『Salad Field』
浦和駅からバスで揺られること約30分、都心のビル街の景色を抜け、芝川にかかる橋を超えたあたりから、住宅地の中にぽつりぽつりと畑が見えてくる。
さいたま市見沼区は、江戸時代中期に新田開発が行われ、水路によって農業用水が供給された。今ではその肥沃な土地を生かしてさまざまな野菜が育つ、大規模な緑地空間が広がっている。
「地図を見てもらうとわかるんですが、この辺りは川に沿うようにたくさんの農家が連なっているんです。」
『Salad Field』の生川寛之さんは、ここ見沼区で2つの畑を管理し、有機農法で野菜を育てている。1つは水源が近い『見沼田んぼ』と呼ばれる農家が立ち並ぶエリアに位置し、今回案内された畑は、川沿いから少し離れた高台の住宅地の中にあった。
「農地を探していた2023年に、ちょうど見沼田んぼの周辺は水害の被害があって、農家さんが苦労されていたんです」。
水の影響が少なく、かつ「住宅地の方が地域の方とつながれるのでは」との思いから、最初の拠点となる農園はここに決めたのだという。
畑を伺った日は最高気温29度と、5月にしては暑すぎるほどの日差しだったが、これから大きくなるだろう夏野菜たちが美しく照らされていた。小さな野菜の赤ちゃんたちを眺めているだけで、エネルギーが満ち満ちてくる感覚がある。
「個性」を活かす農業とは?
生川さんが掲げるのは「個性を活かす場」としての農業。この「個性」には大きく4つの意味が込められている。
1つは、「畑」の個性。
『見沼田んぼ』は、肥沃な土地だからこそ、さまざまな種類の野菜が穫れる。畑を2ヶ所に分けているのも、特性が異なる畑がある方が選択肢が広がるからだという。地図を見るとそこまで離れている気はしないのに、土地によって畑の個性が違うというから不思議だ。
2つめが、「野菜」の個性。
高台に位置する1,000平方メートルほどの畑には、トマト、ナス、きゅうり、ズッキーニ、枝豆、とうもろこし、玉ねぎなどのさまざまな夏野菜が、ぐるりと見渡せる範囲で、隣り合うように育っている。
同じ野菜でも品種が異なったり、同じ品種を違う方法で育ててみたりと、野菜の個性を引き出すための小さな実験場のようでもある。
3つめが、「生物」の個性。
化学肥料を使わない、自然な土づくりを大切にする有機農業では、こうして多品目の野菜を育てることで、微生物が土や地上に集まり、野菜にとって適した、多様性のある環境が育っていく。
例えば、米ぬかを肥料として使おうとすると、米ぬかをちょっと細かくする微生物、それをさらに細かくする微生物、それをさらに……とさまざまな微生物がはたらくことで、最終的に野菜が吸収できる形になっていく。一見非効率に見えるが、結果的に生物の個性が複雑にまじわることで、病気や外的要因に立ち向かえる、ゆるがない土の環境が生まれるのだ。
そして最後に、生川さんが農家になるきっかけとなったのが、“人の「個性」”である。
「長所」を活かすとチームが強くなる
初めて生川さんにお会いしたのは、市内で開かれていた小さなマルシェでのこと。
“東大卒、元ゼネコンのキャリアを持つ若手農家さん”という事前情報から、失礼ながらとっつきにくいイメージを持っていたのだが、実際には物腰が柔らかく、野菜の品種の違いから美味しい食べ方まで、まるで少年のように生き生きと話す姿が印象的だった。
体格がよく日に焼けたその姿はベテラン農家の風貌だが、本格的に農業を始めたのは2024年の4月から。正確には、前職ゼネコンを辞めたのち、熊谷の農業大学校で1年間学び、卒業後の現在は、埼玉県独自の制度である「明日の農業担い手育成塾」の研修生の立場にある。
親戚や知り合いが農家というわけではなく、異業種から転身し、今まさに農家になるための道を1歩1歩進んでいるところだ。
大学時代は、土木工学を専攻し、アメフト部で日本一を目指していたという生川さん。
「4年間、どうしたら他の大学に勝てるかばかり考えていました(笑)」。
大学院では、大学時代から憧れた先生の研究室で河川の研究に進むが、これが自分に合っていたのだという。
「パソコンでシミュレーションをするよりも、フィールド派の先生だったんです。ハイエースに乗って川を巡って、中に入って、観察して、議論して。予測がつかない自然相手の研究スタイルが、しっくりきました」。
同級生が次々と就職先を決める中、進路に揺らいだ時期もあったというが、「現場が好きだ」と確信した生川さんは、卒業後、ゼネコンで工事現場の施工管理の道に進む。巨大な橋やトンネルといったインフラをつくる工事現場の監督を7年担当し、機械の力、職人の腕、エンジニアというそれぞれの専門分野を集大成して、ものをつくるおもしろさを体感した。
自然と向き合うフィールドワークの延長でもあり、チームワークという意味ではアメフトでの経験も生かされた。
ここまで聞くと、順風満帆なキャリアを歩んできたように思えるが、そこに拡大鏡をかざしてみると、さまざまな思考の変化が見えてくる。
「もともと、何でも1番じゃないと嫌な性格でした。多感な時期は、自分より優れた同級生がいると、妬ましくて仕方なかった」。
本人曰く“負けず嫌いで嫉妬深い”性格だという生川さんが、今につながる気づきを得たのは、会社の募集に自ら応募した2年間のアメリカ留学でのこと。
「ボストンのマサチューセッツ工科大学で、SDM(System Design and Management)というコースを受けていました。世界各地から集められた中から、4名のチームでプロジェクトを進めたのですが、仕切るのが得意な人、資料づくりが得意な人、あとはミーティングには来ないのになぜか発表が得意な人とか(笑)。苦手なことやできないことがあっても、それぞれの長所を結集させることで、結果としてチームとして高いパフォーマンスが発揮できると学びました」。
「苦手なことではなく、長所を活かすことを考える」
この思考が、今の生川さんに1本の川のように流れている。振り返れば“負けず嫌いで嫉妬深い”その性格も、誰かの長所にいち早く気づく力として、チームワークに貢献していたのだ。
息子は最強の「個性」の持ち主
そんな人の「長所」に目を向けることの重要性を体感した留学時代、当時2歳だった息子さんに知的障害と自閉症が見つかる。
「『周りの子とうまくいかない』と奥さんから相談はされていたのですが、単身アメリカにいて物理的な距離があったこともあり『そんなことないだろう』と思っていたんです。ただ、日本に一時帰国した時や、数ヶ月妻と息子がアメリカに滞在しにきた際に、同い歳の子どもと比べてやはり何か違うのかもしれないと。身近にそうした障害を持つ人もいなかったので、最初はただただびっくりしていました」。
ここまで順調にキャリアを重ね、アメリカで働くことも視野に入れていた生川さんが、初めてキャリアと家族を真剣に考え「日本でできることをしよう」と帰国を決意した。
3歳前後まではほとんど話せず、相手の気持ちを理解するのが難しかったり、こだわりが強く急な予定の変更も許せない。息子さんのできないことを挙げればキリがないが、一方で、とにかく絵を描くのが得意だった。
「週末は図書館や本屋を渡り歩き、好きな絵本を片っ端から読んでいく。自宅に戻ると、絵本で見た絵を記憶して、お手本なしにスラスラと描くんです。大人の僕が努力したってなかなかできないことが、彼にとっては当たり前なんですね」。
いざというときに凄まじいパワーを発揮するその姿は、まさに最強の長所の持ち主。生川さんはこの「個性」を活かしたいと考えた。
ところが、現実には“できないこと”にフォーカスされがちな福祉の壁にぶちあたる。日常生活に必要なことをトレーニングするのは大切だが、そのまま18歳を過ぎると“誰でもできる仕事”に落ち着いてしまうのだという。
「世の中に必要な仕事ではあるが、本当にその子たちが能力を発揮しているのかというと、そうではないですよね」。
英語で話すのが苦手な自分に代わって得意なメンバーが話し、その分自分は資料作りに力を注いだ、留学時代のことが思い起こされた。
自分に何ができるのか……障害者が働く現場を訪問する中で、障害者雇用を行うあるレストランの農園を見学した時、可能性の扉が開いた。
種まきから袋詰めまで、様々な作業がある農業は、働く人ができることを見つけ、個性を伸ばしていくのに最適だった。
「農園で働いている人たちが、とてもリラックスしているように見えたんです。閉塞感のある工場や作業場ではなく、野外だったことも大きい要素かもしれません」。
生川さんが農業に魅かれたのは、単に、農作業が障害者福祉にマッチしていただけではない。農業について調べれば調べるほど、「微生物の多様性によって強くなる有機農業の考え方」、「畑の特性によって生み出される個性あふれる野菜たち」…そういった“個性を活かすしくみ”が、今まで自分が大切にしてきた“長所を活かしたチームの作り方”と共鳴し、1本の川が徐々に太くなるように、確信に変わっていったのだ。
準備期間を経て、農業大学校へ
2022年1月に「会社を辞めて農家になる」と宣言し、生川さんは準備期間に入る。当時、洋上風力発電の計画という、国家プロジェクトに関わっていた。当然引き止められたのでは。
「すごく心配されました。当時の上司は、理詰めの人だったんですが、ちゃんと準備ができているのか、覚悟はあるのか、と厳しいながらも僕のその後の人生を考えてずっと気にしてくれていました」。
「そろそろ諦めたか?」と冗談混じりに言いながらも、引き止めるのではなく、万全の体制で沖に出れるよう向き合ってくれた当時の上司のイズムには、本人も「影響を受けている気がする」とのこと。
実は、取材当日に生川さんからは「個性を活かしたシステムの実現」と書かれたシートを頂戴していた。もしかして、インタビューのためにまとめてくれた? と思ったのだがそうではない。会社に勤めていた時に、自分のやりたいことを整理するためにつくったA3サイズの資料には、今までの経験から、将来実現したいこと、そしてそれを実現するためのロードマップがぎゅっと詰め込まれていた。それも、2021年の5月ごろに作り始め、たびたびブラッシュアップをしながら約3ヶ月かけて完成させたものだというから驚きだ。
誰に提出するよう言われたわけでもなく、「自分はどうしたいんだ」と自分で自分に問うために、そして何より家族のために、考えを整理する必要があったのだという。
「もともと慎重なタイプですし、家族がいるので、生きていけるかわからない道に進むには覚悟が必要でした。でも、それ以上にやりたいことがあるというのを可視化したことで、より一層頑張ろうという気持ちになりましたね」。
結果的に、職場の人はもちろん、家族や周囲の人の声援とサポートを受け、今この畑に立っている。『Salad Field』の名前の由来は、多様性を認め合うアメリカの「人種のサラダボウル」から。軽やかな響きの中には、実は“ひとりひとり、ひとつひとつの個性を活かす場をつくりたい”という生川さんの思いが込められているのだ。
プロセスを楽しむ開かれた農園へ
「農園は、ゼネコン時代に経験した工事現場と似ているんです。橋やトンネルが突然出来上がらないのと同じで、さまざまなステップが、現場のいろいろなところでそれぞれのタイミングで発生している。現場監督として全体を俯瞰して見ながら、同時に職人として1つ1つの作業と向き合っている感じです」。
自分の長所が現場監督に向いていることを理解し、将来的には障害を持つ人を含めさまざまな人を受け入れ、みんなで畑をつくる体制を整えていきたいという。
今はそのために農業に真正面から向き合い、職人としての知見を磨く修行期間だ。
とはいえ、今もずっと1人で取り組んでいるわけではない。農業大学校時代のクラスメイトであり、同じく見沼区で農家をしている齊藤さん(よいよいファーム)、石井さん(け八き農園)を含めた5人で、共同作業場を活用しながらそれぞれの畑の管理を行なっている。
「機械や資材が必要、作業する場所が必要、などみんな同じ悩みを抱えているのなら、共有し助け合えた方がいいと思うんです」。
そんな理想を、地元の農家さんに協力を得ながら形にしたところが、生川さんの長所が生かされたエピソードのように思える。
同じさいたま市に住むものとして、できることは? と尋ねると、
「できた野菜を食べてほしいのはもちろんですが、それぞれの野菜の特長だったり、育っていく姿、野菜ができるまでのプロセスを知ってもらいたいです。スーパーに並ぶ前の魅力や価値、おもしろさが畑にはたくさんあります」。
今後は、さいたま市の援農ボランティア(※)に申し込み、畑に人を受け入れることも考えているという。
「プロセスを楽しめるのは、畑だからこそ。手伝ってもらって助かるというのもありますが、純粋に誰かと一緒に作業したほうが楽しいと思っています」。
実際に、『Salad Field』含め見沼区周辺の農家さんのSNSを見ていると、たびたび収穫や農作業の手伝いの声かけが飛び交っている。SNSを通して畑に親近感をもち、お役に立てるのならばと思わず手を挙げたくなってしまう。
それくらいの身近さで、誰もが地元の農家と接点を持てたなら、生川さんが目指す「個性を活かす場」としての農園も、早々に実現するような気さえしてくる。
最後に、息子さんの障害はあくまできっかけであり「将来一緒に畑作業をしたいというわけではない」と生川さん。
「息子には息子の好きや得意を伸ばせる場を見つけてもらいたい。僕にできるのがたまたま農業と福祉の連携だったので、5年後、10年後に同じような境遇の人の居場所が作れていたらいいなと思います」。
※さいたま市では、農業に関心を持つ市民を対象に、農業の知識と技術を養成する研修を開催、研修を修了した「援農ボランティア」を、受け入れを希望する農家に紹介している
2024年11月、生川さんも所属する「さいたま有機都市計画」の主催で、今年で3回目となる「さいたまOrganic City Fes.」が開催予定。元クラスメイト(斉藤さん、石井さん)と3人で実行委員長を務めるという生川さん。その手腕をかわれ、さいたま有機都市計画からの推薦だそう。
「去年までは本当にいち参加者、お客さんの気分だったので驚いています」。
農作業で忙しく、特性が異なる約20人で物ごとを決めていく難しさに、試行錯誤しながら準備を進めているところ。人の長所に気づき、個性を大切にする生川さんの力の見せどころかもしれない。11月の本番、どんな形でそのチームワークが発揮されるのか、今から楽しみだ。