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違いを認めて、自分を知る。「対話」が私たちにもたらすもの / 対話会&ごはん会レポート

書き手 ゴトウサトミ

対話会って、豊かさって何だろう

8月25日(土)、ローカルWebメディア『さいのネ』立ち上げのクラウドファンディングのリターンとして、「豊かさ」をテーマにした対話会 &ごはん会が開かれました。会社員として働きながら『さいのネ』の書き手として活動するゴトウが、はじめて参加した会の様子をレポートします。

ファシリテーターは、SNSで日々の暮らしを発信しながら、さいたま市の各地で定期的に対話会を実施しているMayamoonさん。詩人であり、絵描きであり、コミュニティ主宰者…と様々な顔を持つMayamoonさんのお話は、いたるところで耳にしていたのですが、お会いするのはこの会が初めて。にも関わらず、気さくに「記事読みましたよー!」なんて声をかけていただき、肩の力が抜けました。

会場は、さいたま新都心駅から徒歩約20分、都心の洗練された街並みを抜けた先に現れる、美しいお庭が目印のカフェ『maru(マールーウ)』。まだまだ強い夏の日差しに、ほんの少し秋の気配が漂う夕暮れ時、ぞくぞくと参加者が集まります。

Mayamoonさんを囲むのは対話会 &ごはん会をリターンに選び、支援してくださったみなさん。もうこの光景だけで、ありがたさで胸がいっぱいです。

ところで、参加にあたり改めて「対話」を辞書で調べてみました。

対話:向かい合って話し合うこと。また、その話。(デジタル大辞泉)

なーんだ、やったことあるじゃないか。と思いますよね。だからこそ、家族と、友人と、知人と、同僚と……誰もが経験したことがあるだろうこの「対話」を、会として改めて開くってどういうことなんだろう。そして、今回のテーマであり、『さいのネ』のコンセプトでもある「豊かさ」ってなんだろう。そんなフワフワとした疑問が、会を通してどんな風に変化したのか、私なりにお伝えできればと思います。

対話会の8つのルール

参加者には、Mayamoonさんから事前に8つのルールが伝えられていました。

・何を言ってもいい。
・人の言うことに対して否定的な態度を取らない。
・発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
・お互いが問いかけるようにする。
・知識だけではなく、自分の経験にそくして話す。
・話がまとまらなくてもいい。
・意見が変わってもいい。
・分からなくなってもいい。

なんて優しいルール!日常にあふれる、辞書で言うところの対話も、こんなルールが暗黙であればいいのに、と思わずにはいられません。

「刺激に敏感なのに、追い求めてしまう性質なんです。ブレーキとアクセルを同時に踏み込むタイプです」。そんなMayamoonさんの自己紹介から、緩やかに会は始まりました。

大人になってから、まだ相手をよく知らないときの自己紹介って、案外難しいと思いませんか。会社員気質なのか、つい職種とか肩書きとか、どこにどれだけ属しているのかから話をしてしまう私。もちろんそこから香り立つ人物像はあるだろうけれど、本当に伝えたいのは、そして相手が本当に知りたいのは「私ってこんな性質の人間です」だよなぁと、参加者の皆さんのお話を聴きながら、少し反省をしたのでした。

「豊かさ」を感じるとき

「誰かを助けられる余裕が自分にあると感じたとき」
「畑で自然と向き合っているとき」
「完璧主義な価値観を手放せたとき」
「自分の好きなものに囲まれていると実感したとき」
「家族とのなんでもない日常を振り返ったとき」
 …

などなど、最初に話題に上がったのはそれぞれにとっての豊かさについて。みなさん具体的な経験をもとに考えを話すこともあれば、思考を手繰り寄せながら思いついたままを言葉にしてみたり、思い切って他の誰かに問いかけることで流れが変化したり。

不思議なもので、誰かのキーワードをきっかけに思い出した自分の記憶や思考に「私、こんなこと思ってたんだ!」と、自分のことながら驚いたりするのですね。

「物質的には充分に満たされているはずだよね」そんなMayamoonさんの問いかけが元になり、戦後から高度経済成長期にかけて、私たち日本人が追い求めた物質的な豊かさについて触れることも。確かにそうだよなと共感しつつ、「選択肢が多いから苦しい」「生活のために稼ぐことは、私にとっての豊かさから遠のくと思っているのかもしれない」など、豊かであるがゆえに、見えない何かに縛られている自分たちに気づかされる瞬間もありました。

消費される豊かさ

自分にとっての「豊かさ」と客観的な「豊かさ」を再認識したところで、自分が好きでしている日々の営みが、“ていねいな暮らし”といったトレンドにカテゴライズされてしまうことへの違和感に関する話題に。大きく頷くMayamoonさんに、彼女の手仕事や暮らしの印象から、「意外」と驚いた参加者もいたようです。

確かに、簡単にものごとの一部分を切り抜かれることもある今、こちらの意図とは関係なくテーブルの上に並べられ、比較され、ジャッジされていた、ということはよくある。同時に、誰かを勝手に比べたり、正解を求めることで、安心したり落ち込んだり、自分で自分の首を絞めているということも。自らを振り返り「そういうことしてるなー」と、チクリと刺さる気がしたのは、きっと私だけではないと思うのです。

キャッチコピー的“豊かさ”に消費されない(しない)ためにも、自分の意思で選び、自分に合った豊かさを考えることを、折に触れて続けていくことが大切なのだと実感。たとえそれが変化しても、何度でも考え自分なりの形をつくっていくことで、見知らぬ誰かの目など気にせずに、バランスを保てるようになるのかもしれません。

対話会のあとは、特別なディナーを

Mayamoonさんのおもてなしの気持ちが嬉しいプレート

対話会のあとに待っていたのは、Mayamoonさんによるスペシャルディナー。この日のために仕込んでくださったプレートにスープ、小鉢が2種+梅ぼしご飯と、品数もさることながら、目にも嬉しい彩りに参加者からも歓声があがります。

野菜やお米の農家さん情報が添えられた手書きメニュー

参加者どうしおしゃべりに花を咲かせつつ、ひとつひとつのメニューをこんなに噛み締めながらいただいたのが久々で。おもてなしの気持ちや、作り手の気配、この土地の豊かさを再確認することができました。

対話会とは、豊かさとは

「自分の考えを再確認した」「人によってさまざまな『豊かさ』があること知った」「当たり前のことを思い出した」など、参加者のみなさんの感想を聞いていると、対話そのものだけでなく、対話を通して自分に跳ね返ってきたものを、大切に持ち帰っているように感じました。

当然、私がここで書いたことと、全く違う感触を得た人もいるはずで、それ自体を認め合える空気はきっと「対話会」だからこそ。

「立場も、年齢も違う人たちが集まることで、“個人”に触れることができるのが、対話会のいいところなんです」

Mayamoonさんの言葉の通り、相手に触れることで、結果的に自分を知ることができるのが、「対話」を「会」として開くことの意味なのだなと実感しました。

自分を知ることは、自分にとっての「豊かさ」を知ることでもあって、仮に多すぎる選択肢の中で苦しくなったとしても、立ち返る場所を見つけることができるのでは、ということ。そのために「考える」場をつくるのが、もしかしたら書き手、あるいはメディアの役割なのかなと、振り返ってこの先のことを考えるきっかけにもなりました。

すっかり日も暮れて、ごはん会はあたたかいキャンドルの灯りとともに

『さいのネ』では、今後も定期的に対話会を開く予定です。なんだかちょっとハードルが高そうと感じていた方に、少しでもこの日のいい空気が伝わりますように。

対話を通して相手を知る、自分を知ることは、豊かな時間そのものです。

Mayamoon

絵描き、詩人、オンラインコミュニティ「ノートと種まき」主宰。さいたま市内で定期的に哲学対話を実施。無農薬、無肥料の野菜作りを行い、植物との生活や作品について発信している。
Instagram➀ : @mayamoon0000
Instagram➁ : @mayamoon_artwork

Maru(マールーウ)

場所:埼玉県さいたま市大宮区北袋町1−236 ※改装工事中のため、9月10日から再開予定
Instagram : @cafe__maru

書き手
ゴトウサトミ

埼玉出身、さいたま市浦和区在住。実用書、旅メディアの編集を経て、現在は都内勤務の会社員。せっかく暮らすなら、この場所をもっと知って、好きになりたいという思いで『さいのネ』に参加。人の好きなものの話を聞くのが好きです。

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