自分が積み重ねてきたこと、自分の好きなこと、そんな自分にとって大切なことを掛け合わせてたくさんの人から愛される場所をつくることができたらーー。そんな憧れを抱いた経験がある人って実はたくさんいるんじゃないだろうか。かくいう筆者もそんな一人だ。
北与野駅から歩いて15分ほどの住宅街に位置する『でこぼこ書店』は、店主の教育に携わってきたキャリアと好きな本を組み合わせたハイブリットな書店。本の販売はもちろんのこと、小中学生向けの学習教室やトークイベントなど、多彩な取り組みが行われているこの場所には、子どもから大人までたくさんの人が訪れ、会話と笑顔、そして繋がりが生まれる。
そんな多くの人に愛される書店の店主は、本に関わる仕事の経験も店舗運営の経験もなかったというのだから驚きだ。
「たくさんの人がこの場所に関わってくれて、その輪が広がっていくのが嬉しいんです」そう笑顔で語る富井 弥(とみい わたる)さんに、書店をはじめた経緯や書店に込めた想いを伺った。
目次
たくさんの出会いと繋がりが生まれた1年
――昨年の11月で1周年を迎えられたそうですね。おめでとうございます!率直なお気持ちを教えてください。
富井さん : 「こんなにも新しい繋がりができるものなのか」と本当に驚きの1年でした。
お店ではさまざまなイベントを開催していますが、嬉しいことに、その多くが僕が主体となっていた訳ではなくて。お客さんからお声がけいただいたり、お客さんとの会話の中で自然と生まれたものなんです。
「『本』と『人』と繋がる本屋」というコンセプトのもと、たくさんの繋がりが生まれたことを実感し、とても嬉しく思っています。
――お客さんからの買い取りのみで構成されている古本コーナーや、お客さん発案のイベントなど、たくさんのコンテンツがお客さんとともに作られているんですね。飾られている常連さんからの1周年記念のお花やメッセージからも、多くの方が関わり、この場所を好きでいるということが伝わってきます。
富井さん : 本当に、ありがたいですよね。
この書店の雰囲気やイメージも、関わってくださる皆さんによって作られていると実感しています。

始まりは「教育」に対する熱い想い
――今日はそんな「でこぼこ書店」についてお伺いしたいです。まず、書店をはじめた経緯を教えてください。
富井さん : 実は、最初から書店をやろうと思っていたわけではなく、「教育に関することをやりたい」という思いが先にありました。
――書店が先ではなかったのですね。もともと教育に関心があったのでしょうか。
富井さん : 浪人生から大学生の間、母校の中学校のバスケットボール部でコーチをしていた経験が教育に強く関心を持つきっかけでした。初めて指導したのが、引退まで残り3か月の中学3年生でして。バスケットボールが大好きで一生懸命練習する彼らに応えようと、自分の指導にも熱が入りましたね。指導期間が短かったのにもかかわらず最終的には、それまで公式戦で一度も勝ったことがない子たちが、地区大会上位を狙えるくらいになったんです。
自分の熱意に子どもたちが応えてくれることが本当に嬉しくて、何より彼らの成長する姿に心を動かされました。人の成長に関わることができる教育にやりがいを感じた経験でしたね。
――すると、卒業後は教育に携わるお仕事に?
富井さん : その当時は、「教育に携わる=教師」になることだというイメージがあったんです。教員免許を持っていなかったので、全く関係のない分野である生命保険会社に就職しました。ただ、働いているうちに教育に携われる仕事は教師だけじゃないということに気づいたんですよね。
社会人6年目の時に大学職員へ転職し、入試広報やキャリア支援の仕事に10年間携わりました。その後、元々興味関心が強かったスポーツと教育のどちらにも携われる大学スポーツ関連の団体職員として1年3カ月ほど働きまして。充実した日々ではあったのですが、だんだん独立したいと考えるようになりました。
――希望されていた教育に携わる仕事ができていたにも関わらず、独立しようと思ったのには何か理由があったのでしょうか。
富井さん : どの職場でも仕事内容に人間関係と、とても恵まれた環境で働かせてもらえていましたが、組織の中ではどうしてもチャレンジできることが限られてくると感じたんです。
キャリアとして積み重ねてきた「教育」について、裁量を持ち取り組んでみたいという思いがふつふつと湧き上がってきて、思い切って挑戦してみることにしました。
――そこからなぜ書店を始めようと思ったのでしょうか。
富井さん : 学習塾やキャリア支援のコンサルティングなど、教育に関すること一本に絞ることも考えましたが、経営的な面から、異なる2つの事業を掛け合わせることでリスク分散しようと思ったんです。
悩んだ結果、教育と深く関わりがあり、何より自分が好きな『本』を扱う書店を選びました。
本には、学びたい時、勇気づけられたい時、ただ笑いたい時など、どのような場面にも応じてくれる万能さ、言い換えるならば懐の深さがあると思っていて。そうしたさまざまな気付きやきっかけを与えてくれる本は、教育と掛け合わせるのにぴったりだと思いました。
――ご自身のキャリアで培ってきたことと好きなこと、理想的な掛け合わせだなと思いました!さらには相性も良かったのですね。
富井さん : そうなんですよ!ただ、書店を始めると決めたものの、自分には出版社や書店など本に関わる仕事はおろか、店舗運営の経験がなかったんです。
経験や強みを生かしたことで生まれたお店の個性
――未経験からのスタートは、不安もあったのではないでしょうか。
富井さん : 正直なことを言うと、不安はありました(笑)。店舗経営の面で、見る人によっては粗さを感じるかもしれません。ですが、それは経験値を積むことによって補える部分だと思うんです。
だからこそ、まずは自分の個性を生かし「この場で自分だからできること」に力を注ごうと思いました。
そのために、自分自身の経験や強みを見つめ直して、どう生かしていけるかをとにかく考えましたね。そうしたことで、自分にできることや本当にやりたいことが段々とクリアになり、少しずつ書店の個性が形作られていったんです。
――とことん、ご自身と向き合われたというわけですね。経験は教育に関するキャリアかなと思いますが、強みは何を生かされたのでしょうか。
富井さん : 強みとしては、コミュニケーション能力を生かすことにしました。
――経験と強みについて、それぞれお聞きできればと思うのですが…。小学生が対象の国語教室や、中学生も対象としている学習サポート教室などは経験を生かした取り組みでしょうか。
富井さん : そうですね。特に大学職員の頃の経験が生きているなと感じますね。たくさんの学生にキャリア支援を行う中で、主体性の大切さは、子どもの頃からの継続によって身につく能力であることを実感しまして。
生徒たち一人ひとりと向き合って、その子の学習段階に応じて楽しく学べる工夫を組み込みながら、主体性を育むことを意識しているんです。
――楽しく学べる工夫として、どのような取り組みをされていますか。
富井さん : 学びの中に遊びの要素を取り入れるようにしていますね。例えば、表面に都道府県のシルエットが、裏面には県庁所在地や人口、面積などが書かれた「都道府県カルタ」を使っています。
通常、1枚のカードをとると1ポイントのところ、裏面に書かれている内容を当てることができれば、獲得ポイントが増えるというルールをつくっていて。楽しみながら意欲的に学べるよう工夫を凝らしています。
――つい夢中になりそうです!大人の私もやってみたくなりました。笑
富井さん : 遊びながら学ぶ時間を設けることで、「学ぶことは楽しいこと」と思ってもらえますし、メリハリが生まれ、どちらにも集中して取り組めるようになると考えていますね。
学習サポート教室では、勉強が苦手な子や宿題に苦労している子たちが学べる場を提供したいので、学校の勉強に取り組む時間を設けているんですが…。運営を始めて1年経った今、当初は全く集中できなかった子が少しずつ集中できるようになってきたんです。
――教室では、「何をどんな順番で、どう進めていくか」を子どもたちに決めてもらっているとお聞きしました。
富井さん : はい。子どもたちが、自分自身で考え、何かを決める機会をつくりたいと思って始めました。自分のことを自分で決める経験を繰り返すことで、主体性が身について欲しいと思っています。
――もうひとつ、強みとして挙げられていたコミュニケーション能力でいうと、富井さんがパーソナリティとしてゲストの方とお話しされている「でこぼこRADIO」が印象的です。
富井さん : でこぼこRADIOは、私自身が興味関心がある人に深くお話を聴く貴重な機会となっています。自分の強みを生かしつつ楽しみながらやれている取り組みのひとつですね。
子どものころからチームスポーツであるバスケットボールをやってきたこと、バスケットボールのコーチとして「相手に伝わる伝え方」に向き合った経験、社会人になってからは調整役として多くの人の話を聴いてきた経験が、生きているなと感じています。
訪れた人にとっての成長を感じられる場所へ
――お店でのやりとりや、でこぼこRADIOでのお話しから、富井さんが人との関わりをとても大切にされているのが伝わってきます。コンセプト「『本』と『人』と繋がる本屋」にはどんな想いが込められているんでしょうか。
富井さん : 本や人と出会い、繋がりを感じられる場所を通じて「成長」のきっかけを提供したいという想いが込められています。例えば、この書店で出会った本で気持ちが前向きになったり、イベントに参加したことが何かをはじめるきっかけになったりとか、そういったことをイメージしていますね。
成長というと、知識が増えることや新しいスキルを身に着けることをイメージされる方が多いかもしれません。ただ、私は新たな気づきを得ることや気持ちが変化するという意味も含まれていると考えていて。「成長」することは人生を豊かにするために欠かせないものだと思うんです。
――そうした想いが選書にも反映されているのでしょうか。
富井さん : そうですね。訪れた人が、そのとき必要な本に出会える場所でありたいので、ジャンルを絞らない「多品種小容量」を意識しています。
個人の書店だと、ジャンルを絞った選書をされているところも多く、それも魅力的なんですが、ここのコンセプトに合わせあえて幅広いジャンルを置くようにしています。
――普段意識しないようなジャンルの本に出会えるきっかけにもなりそうですね。
富井さん : そうなっていたら、願ったり叶ったりですね。
最近だとインターネットで欲しい本をすぐに購入できるじゃないですか。検索機能も充実しているので、目的の本がすぐに見つかる。ただ、その過程で目的外の本と出会うことって、どうしても難しいんですよね。
でも、書店だとふと目に留まった本を手に取るとか、思いがけず興味を引かれる本に出会うことがあると思っていて。そうした偶然の出会いが増えるよう、うちでは多品種小容量としているんです。
本との出会いを通じた、気づきや発見も楽しんでもらえたら嬉しいですね。
――確かに、書店で思いがけない本を手に取ってしまった経験が私自身にもあります。そういった本って妙にしっくりきたりしますよね。
富井さん : それでいうと、ついこの間、本好きな常連さんがオープン当初からずっと置かれていた古本を買ってくださったんです。
たまたま目についたのか、あることは知っていたけど買わなかったのか、なぜこのタイミングだったのか、そういったことは全く分からなくて。ただ、その時々で読みたい本として目に留まる本は違うんだなということを感じた象徴的な出来事でした。
――その方にとっての必要な本と出会えた瞬間だったんですかね。
出会いでいうと、コンセプトの「『人』と繋がる」の部分に込められている想いもお聞きしたいです。
富井さん : 人との繋がりの中でこそ得られる経験が、人を成長させると考えています。そう思うようになったのは、高校時代のバスケットボール部での経験が大きいですね。
チームとして埼玉県代表に選ばれ、インターハイに出場することができまして。そのとき、個人でみれば自分たちより上手な選手が他のチームにいたとしても、チームとしてメンバーそれぞれの得意を生かし、苦手を補い合うことで、想像以上の力を発揮できることを実感したんです。
社会人になってからも、人との繋がりが支えになり、自分が誰かを支えることで成長を感じたり。そうした経験の積み重ねが、「『人』と繋がる」というコンセプトに繋がっているんです。
――実際にどのような取り組みをされているのでしょうか。
富井さん : 例えば、読書会では参加者にテーマに沿った本を持参してもらい、「その本を選んだ理由」や「その本からどのような影響を受けたか」といった読書体験を話してもらっています。
一般的な読書会だと、決まった一冊を読んで意見交換することが多いと思うのですが、あえて違う形式としていますね。
本の紹介というより、選んだ本を通じてその人自身の体験や想いを、その人らしい言葉で語ってもらうことを大切にしたくて。そうすることで、参加者同士の会話が深まると思っているからですね。語りを通じて自分にはない考えに触れたり、共感したりすることで、人との繋がりの中でこそ得られる気づきが生まれる場所になればと思っています。
――日々の生活に追われていると、自分の思いや行動を振り返る機会が取れないという人も多いと思います。参加者との対話を通じて人との繋がりだけでなく、自分自身を見つめられるきっかけになりそうですね。
富井さん : ありがとうございます。
過去に「読み切れなかった本」をテーマに開催した時、参加した方から「その本を読みきれなかった理由が、他の参加者との対話を通じて少しずつクリアになっていって…。読書会が自分の新たな一面を知る機会になったのが新鮮でした」という感想をいただきまして。人との繋がりを通して成長を感じられる場所になっていることを実感し、とても嬉しかったです。
地域で愛され、人と人が繋がる書店のこれから
――まさに「本と人と繋がり、成長を感じられる」場所ですね。この想いが、お客さんと共につくる今の書店の姿を築いてきたのだなと感じます。最後に、これからの展望をお聞かせください。
富井さん : 2年目は、これまで築いたたくさんの繋がりを、どう育てていくかということに注力していきたいと思っています。まさに成長ですね。
それから、でこぼこ書店のことを少しでも多くの人に知ってもらえるように、発信することにも力を入れていきたいです。
書店を経営していることに対して、「なんで今時、本屋?」というお声をいただくことがあるんですよ(笑)。でも実際に、お店のコンセプトや取り組みをお伝えすると、納得していただけるので、でこぼこ書店に込めた思いや魅力を発信し続けていくことで、さらに多くの人と繋がれるお店にしていきたいと思っています。